THE 読物  〜東月彦の小説〜

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zoom RSS わさびA――wasabi

<<   作成日時 : 2017/09/09 20:52   >>

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長編連載小説
『わさびA――wasabi』 第二回

     ◇
「――えっ?……はあ、そうですか。……はい、分かりました」
 その午後、由自はスマホで電話していた。
 やなぎばし太郎・本店の裏口である。
 裏木戸があり、その横に小さなお稲荷さんがあった。
 その祠(ほこら)の前が広くなっていたが、発泡スチロールや段ボールの箱が乱雑に置かれている。
「♪連れて逃げてよ〜、ついておいでよ〜……」
 と、兄弟子の白石満男が鼻唄を歌いながら、店から出てきた。

「じゃあ、また。どうも……」
 由自は、そう言って、スマホを切った。
「♪矢切のー渡し〜……。どうした?あん……」
 満男が訊く。

「はあ。予約の電話なんですが……」
「寿司屋か?」
「ええ。六本木の『鮨さいとう』って店です」
「……ふーん。相変わらず勉強熱心なのね」
 ”習う”と”倣う”は異議である。
 習うは、教わる。教わったことを(繰り返し練習して)身につけ、習得することである。
 倣うの方は、見本としてまねをすることで、つまり模倣である。
 しかしながら、ゴールは同じではないか。
 学習するということは、プロセスは別にして、到達点は同じ所といえるのではないか。

「三ヶ月先でも、予約が取れないんですよね」
 由自が言う。
「そうか……」
 満男が頷く。
「明日は、久しぶりの休みだっていうのに、困ったなあ……」
「寿司屋なんざ、この東京には一杯あるだろう?」
「そうなんですけど、そうでもないんですよ。蒲田の『初音鮨』なんか……」
「――か、蒲田?」
「ええ。ご夫婦でやっておられる、小ぢんまりとした店らしいですが、なかなか取れないんですよね」

「……ふーん」
「それにね、新橋の『すし処 まさ』なんて、二年先まで無理なんですよ」
「 ――に、二年?」
「ええ。他にも、四谷の『鮨 三谷』とか……」
「………」

「『三谷』は、本格的な江戸前寿司らしいんですけどね」
「……あ、ああ。……聞いたことあるな」
「明日は、高円寺まで行って、『波やし(はやし)』に突撃しようかなあ……」
 由自が独りごちる。
「あーあ。その『波やし』って、お笑い芸人が以前、テレビかネットで言ってたな、確か……」
「そうです、そこです」
「何でだよ。電話すりゃあ良いじゃんか?」

「それがね、電話番号、非公開なんですよね」
「えーっ!」
「だから、直接行く以外にないんですよ」
「……そうか」
「やっぱり、寿司ブームなんですかね?」
「そうだよなあ。外国からの観光客、増えたもんなあ……」

「そうですよね」
「昔は、生の魚、喰うなんて野蛮人のすることだって言ってたくせにさ」
「ですよね」
「おい、由自!」
 親方の太郎が来た。
「はい?」
 由自が答える。
「おめえ、小鰭の仕込み済んでんのかよ?」
「あっ、いけね」
「バカヤロー!さっさと仕事しろ」
「すみません!」
 由自は慌てて厨房へむかう。

「見上げ果てたやつだなあ」
 満男がぼそっと言った。
「あのな!それを言うなら、見下げ果てた、だろ?」
 太郎が反論する。
「……そ、そうとも言いますよね」
「――言わねえよ!」
「……たはっ」
「おまえは、鶴瓶か?」
「………」
 何も言い返せない満男である。
 おれも由自みたいに、少しは勉強しなきゃなあ、と彼はつぶやいた。

     ◇
 『江戸前魚食大全』(冨岡一成著、草思社刊)という摩訶不思議な本がある。
 副題を見ると、――日本人がとてつもなくうまい魚料理にたどりつくまで、とある。
 また、帯には、――これを読まずして、すし、鰻、天ぷらを語るなかれ!ともある。
 ディープな本である。(笑)
 その中に、江戸名産といわれる魚貝が掲載されていて、抜粋してみる。

・浅草海苔 …… 雷門の辺で製する。二、三月にかけて盛んである。
・品川生海苔…… 品川・大森の海辺でとる。浅草で製する海苔はここで産するものであ
         る。
・葛西海苔 …… 浅草海苔に似て異なる。本草にいう紫菜という海苔である。
・佃白魚  …… 初春は海にいて、二月頃に川に上る。
・江戸前鰺 …… 中ぶくらというのは随一の名産なり。鯛、平目に限らず、江戸前の魚
         はどれも佳品。
・中川鱚  …… 夏の末から秋にかけて盛ん。大きさ七、八寸もあり、もっと大きいも
         のも取れる。
・鉄砲洲鯊 …… 鉄砲洲、石川島、永代橋の辺でとれるものを上品とする。
・深川蛤  …… 佃沖、弁天沖で秋の末より冬にとれる。貝は細かく、大型のものはま
         れである。
・深川鰻  …… 大きいものはまれで、小さいものが多い。甚だ好味なり。
・池ノ端鰻 …… 不忍池でとるにあらず、千住、尾久辺から運んでくる。大型で味も良
         い。
・芝海老  …… 芝浦の名産なり。秋の末より初冬にかけて。車海老より小さく、やわ
         らかで甘美。
                        (『続江戸砂子温故名跡志』より)

 寿司ダネに限って抜粋しても、これだけあり、淡水魚は除いている。
 著書曰く、こんな土地に住めば、誰だって魚食いになろうというものだ。三日食べないと骨がはずれると自慢するのも当然だろう、と。
                          つづく


*参考文献・『矢切の渡し』 作詞:石本美由紀 作曲:船村徹 歌:細川たかし
・『江戸前魚食大全――日本人がとてつもなくうまい魚料理にたどりつくまで』
冨岡一成著、草思社刊








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