THE 読物 ~東 月彦の小説~

連載32 微笑のあと


「今度、旅行せえへん?」
 営業二課長の玉田幸彦が言った。
「えっ?」
 十子が驚いて、彼を見た。


「おれ、ハワイに行ったことないねん」
 仔牛のカツレツを頬張りながら、玉田が言う。
「・・・・はあ」
 十子は、手長海老(スキャンピ)のグリルを食べている。
 四条縄手にある瀟洒なトラットリアだった。


「別にハワイでなくてもええんやけど。・・・・ヨーロッパでも、ニューヨークでも・・・・」
 玉田は、グラスで頼んだミュスカデを二口飲んだだけなのに、酔ったようで、目つきがとろんとしている。
 酒には、からきし弱いようだった。


「・・・・はあ」
「けど、ハワイにあれだけリピーターが多いということは、それだけ魅力があるということやないかな。きみ、行ったことあんの?」
「・・・・いえ、サイパンなら、ありますけど」
「そう」
「ええ」


 玉田幸彦。三十一歳。バツイチ。地元の大学を卒業し、現在の繊維商社に入社した。親会社は、東京に本社のある総合商社で、京都本社では、もっぱら昔ながらの呉服や浴衣などの和装品を主体とした繊維製品製造卸売業だった。
 だから、玉田の将来もある意味、見えてしまっていたのである。


「おれ、きみのこと好きなんや」
 玉田はさらっと言ってのける。
「えっ?」
「ほんまやで」
「・・・・課長、もう酔われたんですか?」


「ちゃうちゃう!おれは酔うてないよ」
「・・・・酔ってらっしゃいますよ」
「酔っ払ってないよ」
「嘘ばっかり」


「ほんまに、きみのことが好きなんや」
「・・・・・」
 十子は何も言わない。
「真面目に考えてるんや」
「・・・・ありがとう」
 以前の十子なら、その言葉を聞いただけで、彼にすべてを委ねただろうが、色々な経験を積んで身持ちが硬くなった。


 なぜ、恋愛期間中は、あれほどセックスしたのに、結婚した途端、数少なくなるのだろう・・・・。
 それは精神の安寧を得たからであろうか。


「・・・・結婚しよか?」
 玉田がぼそっと言う。
「えっ?」
 一瞬、何のことかわからず、十子はきょとんと彼を見た。


「結婚してくれ」
 今度は声に張りがあった。
「・・・・あっはははは」
 十子は回りに憚らず、大きく口をあけて笑う。


「・・・・きみなあ」
「あっははは、――だって・・・・」
「・・・・・」
「・・・・くすっ」
「・・・・何で、おれが話すとすべてがギャグになんのかなあ」
 玉田は不思議そうに独りごちる。


「そんなことないですよ、課長」
「嘘つけ!今、大声で笑たやないか?」
「あっはははは」
「・・・・まったく」


「結婚しましょうよ、課長」
 にやにや笑いながら、十子が言う。
「もう、ええわ。今ので百年の恋も、きれいに醒めたわ」
「・・・・そんなこと仰言しゃらずに」
 バツイチ同士が、傷を舐めあうような再婚なら、真っ平ごめんだと十子は思っている。


「憶えとけよ」
「あっはははは」
「・・・・でも」
「はい?」


「旅行のこと、考えといて」
「・・・・わかりました」
「頼むわ」
「はい」
 シャイな玉田も同じように、考えているようだった。
                                           つづく






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