怪譚 屏風の虎

怪譚 屏風の虎
第一話 屏風の虎
第七回

     ◇
 また、スマホの呼び出し音が鳴った。
 明月が、ちっと舌打ちする。
 液晶画面を見ると、月山からの電話だった。

 京都の源龍寺である。
 朝の勤行(ごんぎょう)を終えたばかりであった。
 昨晩から、電話は鳴りっぱなしなのだ。

 やっと呼び出し音が止まる。
「………」
 明月は、深い溜め息をつく。
 無視するつもりはなかったが、会話の内容はだいたい読めたので、面倒だったのだ。

 厳然寺の住職を辞めさせてくれ、とか、いつになったら帰れるのか、というものであろう。
 それしかない。
 昨日は、祇園のお茶屋で馴染みの芸者としっぽり呑んでいたのである。
 野暮以外の何者でもない。
 佳乃(かの)は、細面で、黒紋付きが似合う、小股が切れ上がった良い妓(おんな)だった。
 そのまま日本画の絵絹に収まりそうなのである。

 バブルがはじけて、”失われた二十年”と呼ばれる長い不況がつづき、花街の祇園は斜陽になったという。
 かつての華やかさは消え、いくつかのお茶屋が潰れるという事態に陥ったのである。
 そんな状況を救ったひとつが、宗教関係なのだ。
 宗教に、不景気はない。
 文化は守らなければならない、と他人には言うが、本当のところは若い女と接したいだけなのだ。

 また、呼び出し音が鳴りはじめる。
 やはり月山からであった。
 明月が渋々出て、
「ああ、おれだ、おれ!すまん、ちょっと立て込んでて、電話できなかったんだよ。どうだ、調子は?」
 と、声を張り上げる。

「ああ、元気だ」
 月山の冷静な声が聞こえた。
「そうか。それは良かった」
「今日は、ちょっと訊きたいことがあって……」

「訊きたいこと?」
「うん。昔、……学生の頃、おまえと京都の旧跡巡りしたよな?」
「あーあ、そんなこと、あったなあ。……嵐山とか、宇治とか」
 明月は拍子抜けした。
 ――何だよ、厳然寺のことじゃないのか。

「そうだ。それで、修学院離宮へ行ったの憶えてるか?」
「えっ?」
「で、鯉の絵、見たじゃん?」
「……そうだったか?」
「忘れたか?」
「……薄っすらと憶えているかな。その絵がどうかしたのか?」
 ――……おい、十五年も前の話じゃないか。

 修学院離宮は、後水尾上皇の指示で造営された離宮(皇居以外に設けられた天皇や上皇の別邸)である。
 比叡山麓の修学院にあり、広大な敷地を有し、美しい庭園がある。

「あの鯉は、夜な夜な画面から逃げ出すから、円山応挙が後から、網の絵を描いて封じ込めたんだよな?」
「……うーん」
 修学院離宮の中離宮の木戸に、作者は不明だが生きの良い鯉の絵が描かれている。その鯉は夜ごと、その画面から逃げ出す(消え去る)ので、画家の応挙が、その木戸に網の絵を描いたという逸話がある。

「あの鯉は本当に逃げたんだろうか?」
「えっ?」
 ――……おいおい、こいつも頭イカれちまったのか?
「どう思う?」
「……よく分からんなあ」

「それから……」
「うん?」
「曼殊院門跡って寺に行ったよな?」
「……そうだったか」
「忘れたか?その仏間に、幽霊の掛け軸が飾ってあっただろう?」

「幽霊?……あったような、なかったような」
「あの不気味なやつ、憶えてないか?」
「あーあ、思い出した。薄気味悪い女の幽霊だよな?」
「そうだ、それだ。あの作者は、長谷川等伯じゃなかったか?」
「そうだったか?……分からないよ」

 曼殊院門跡は、一乗寺にある天台宗の仏教寺院である。
 枯山水庭園は有名で、小堀遠州の作といわれるが、彼は当地移転以前に没しているので、実際の作庭家は不明である。
 また、国宝の黄不動画像や曼殊院本古今和歌集をはじめ、多くの文化財を有しているという。
 ちなみに門跡というのは、皇族や貴族の子弟が代々住持となる別格寺院のことである。

「恐ろしい絵だったよな。おまえも、浮世絵の幽霊よりずっと怖いって言ってたもんな」
 月山が言う。
「……そうだったか?しかし、なぜ、そんなに気持ち悪い絵画にこだわるんだ?」
 明月が訊く。

「あの掛け軸は確か、持ち主が替わるたびに、最終的には、あの門跡に舞い戻ってくるんじゃなかったか?」
「どうだったかな……」
「憶えてないか?」

「それは曼殊院のことじゃないだろう?別の寺院じゃないか……」
「そうだったかなあ……」
「絵の由来は、くわしく知らないが、曼殊院のじゃないと思う。――おい、何が言いたいんだ?」
「……ここにある、虎の屏風もそうじゃないか、と思ってさ」
「えっ?」
「色んな人手に渡っても、最後には、ここに戻ってくるんじゃないか……」

「――何か、あったのか?」
「いいや、何も……」
「驚かすなよ!何か、あったのかと思ったぜ」
「村の人たちとも、うまくやってる」
「そうか、それは良かった」

「しかし、絵って不思議だよな」
 ぽつんと月山が言った。
「……そ、そうだな」
 しどろもどろで、明月がこたえる。

「じゃあ、また」
 それで電話が切れてしまった。
「………」
 明月はスマホを持ったまま、しばらく佇んでいた。
                  つづく








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