怪譚 屏風の虎

怪譚 屏風の虎
第一話 屏風の虎
第十三回

     ◇
 昨日、妻の賀歌はまた、実家へ帰った。
 表向きの理由は前と同じ、父親の病のせいだという。
 今度は長くなるかもしれない、と賀歌は言った。
 月山は大きな吐息をつく。
 連日の寝不足で、ぼーっとして集中力がなく、深く物事を考えられなくなっている。

 しかしながら、憎しみはつのるばかりであった。
 ふざけるな!
 亭主がこんな状態なのに、実家の方が大事だというのか。
 あの女は、おまえのことなんか、何とも思っちゃいねえんだから。
 何処からか、声が聞こえる。

 虎の屏風は、あの日のままだ。
 悪夢は、あの日からずっとだ。
やっちまって、やっちまえば良いんだよ。
何処からか、また声が聞こえる。

 描いていた未来とは、こんな世界だったのだろうか。
 以て非なるものではないか。
 否、もっとひどいかも知れない。

 月山は大学生の頃、小説家を志したことがあった。
 文学青年であったので、文章を書くのは苦痛ではなかったのである。
 そして、誰も読んだことがない小説を描こうとしていたのである。

 ――未来小説。
 未来を描いた小説を描こうとしていたのだ。
 誰にも、明日は分からない。
 SF小説という意味ではない。

SFにせよ、時代にせよ、純文学にせよ、すべての小説は、その行動、心理状況などは、作者の原体験や経験が反映されている。
 私小説など、その際たるものであろう。

 厳密にいえば、それは、過去の出来事からの由来であって、決して未来を語っているものではないのだ。(仮に未来社会を描いていたとしても……。)
 大学生の経験など、たかだか知れている。
 そんなガキの小説を読んで、大のおとなが喜んでくれるだろうか。

 そうであるがゆえに、未来小説なのだ。
 そこには、過去の経験値や経験則など関係ない。
 道徳は変遷しても、場数を踏んだ量は絶対なのだ。
 カタルシスも、ドラマ・ツルギーも必要ない。

 それは、”予言書”ではない。
また、ビジネス書や、スピリチュアルの入門書でもない。
 純なる文学なのだ。
 それで、時代を席巻してやろうと思った。

 しかし、果たしてそれは小説(散文)と呼べるものなのか。
 発想は斬新であっても、暗い将来しか描けなかったのである。
 そして、その小説は未完のまま卒業をむかえることとなった。

 月山は切に、未来を変えたいと思った。
 やっちまって、やっちまえば良いんだよ。
何処からか、また声が聞こえる。
――待てよ。前の住職は、行方不明になったんだよな……。
 月山はハッとして、激しく首をふった。


     ◇
 すでに、安土城では合戦がはじまっていた。
 城を守るのは織田軍で、攻めるのは明智軍であろう。
 それとも、寝返ったやつらか。
 城下では、そこ此処で鬨の声が聞こえ、いくつもの火の手が上がっていて、紛れもなく戦場だった。

「あれを、汚してはいけないんだ!」
 金太郎は、兄・永徳が描いた数々の大作が汚されたり、訳の分からないやつらに勝手されるのが我慢ならなかった。。
田舎侍に蹂躙されるぐらいなら、自分の手で始末しよう。

――ちっ!
 出来れば作品を京の都に持って帰りたいと考えたが、戦況を見ていると、到底無理だということが分かる。
 辺りは、夕闇がせまっていた。

 でやーっ!と、敵軍の足軽が金太郎めがけて、長槍で突いてきた。
 ――やべえ!
 金太郎は、ひょいと身軽に切っ先をかわす。
 そして、城内に向かって、一目散に駆け出した。

 湖は、真の闇の中にあった。
 先ほどまで対岸にあった埋み火のような小さな火は、やがて轟々と音をたて、巨大な炎に変わる。
 その夜は、南からの強い風が吹いていた。

 小さな火は、そんな強風にあおられ、地獄の業火のごとく燃えさかり、もう誰の手にも負えなくなっている。
 天守閣から無数に落ちる火の粉は、まるで鬼火のように見えた。

「これで良いんだ、これで良いんだ!」
 金太郎は、自分に言い聞かせるようにつぶやく。
 心象風景は、いつの日か目の前にあらわれる。
 金太郎は、城の至る所に火を放ち、逃げてきたのだった。

 今まさに、天守閣が崩れ落ちるところでである。
 金太郎は、城下町を避け、宵闇に紛れて、琵琶湖に飛び込んだのだ。
 あれほどの威容を誇っていた安土城は、大音響とともに、天守閣が傾き、崩れたのである。
 障壁画のすべては、灰塵に帰したのである。
 何か悪い夢でも見ているようであった。

「………」
 金太郎は、夜の湖にぷかぷか浮かびながら、そんな光景を見ている。
 自然と涙が頬を伝う。
 悲しさより、悔しさの方が大きかった。
 永徳をはじめとして、工房にいるすべての絵師の心血が注がれた傑作群だったからである。
 時代の息吹や、先見性が感じられる障壁画だった。

「……兄ちゃん」
 金太郎が、ぼそっととつぶやいた。

 天正十(一五八二)年六月十五日、織田信長の本拠であった安土城は炎上消滅した。
                       つづく








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