怪譚 屏風の虎

怪譚 屏風の虎
第一話 屏風の虎
第十四回

     ◇
犯(や)っちまって、殺(や)っちまえば良いんだよ。
その言葉が、月山の頭から離れなかった。
 男は、その人生において三度、女に”翻弄”されるという。
 一番最初は母親で、二番目は妻、そして最後は実娘である、と。
すべて”夜叉”である。

どっちみち賀歌は当分帰ってこないだろうし、今夜は久しぶりに一杯やるか。
月山は前後不覚になるまで、ぐでんぐでんに酔っ払って、深い眠りにつきたいと思っていた。
この間、高級なシャブリをもらったし……。

 一時とはいえ、それで何もかも、忘れられるであろう。
坊主は三日やったら辞められないという。
 その通りだと月山は思う。

「うん、うまい!さすが、レ・クロ(特級)だ」
思わず月山は感嘆の声をあげる。
ドメーヌ・ヴァンサン・ドーヴィサ、シャブリ・グラン・クリュ、レ・クロ――
白ワインは一口飲んでみると、とろっとした舌触りで、柑橘系のフルーティな甘みと芳醇な樽の香りが口の中いっぱいにひろがる。

月山は久々にアルコールを口にしたので、いつもより早く酔っ払った。
もうすぐ一本、空きそうである。
この分なら、今夜はぐっすり眠れるだろう。

「おれは本当に、賀歌と別れたいのだろうか……」
 頬を真っ赤にした月山が、吐息と一緒につぶやく。
 あーあ、弱くなったなあ……。
犯っちまって、殺っちまえば良いんだよ。
また、闇がささやく。

玉砂利のはねる音がした。
 何かの足音だ。
――誰だ?こんな時刻に。……野良猫か?、猪か?
 午前一時を少し回った時間だ。
玄関の方で、何かの気配がする。
月山はいっぺんに酔いが覚め、空になったワインボトルを手に取り、身構える。

思い出は上書きした方が良い。そうしなければ、いつまで経っても、それに浸っているからだ。
 ガタピシ音をたてながら、引き戸の扉が開く。
何と、賀歌が立っているではないか。
「――えっ?」
 思わず月山が叫ぶ。
「ただいま」
 何事もなかったかのように、賀歌が微笑む。

「……う、うん」
「飲んでるのね?」
「あっ、……ま、まあ」
「良い気なものね」
「……い、いやあ」
賀歌は不機嫌に家の中に入ってきた。


 「あーあ……」
 賀歌が熱い吐息をもらす。
いま賀歌は、月山の下で身悶えしている。
 若い肢体はしなやかで、白く美しい。

――嘘だろ……。
月山は今も、信じられずにいる。
 夫婦は、はじめて夫婦になったのだ。
 すんなりと賀歌は受け入れてくれたのである。
 めくるめくような刻(とき)が流れた。

 どういう心境の変化なのだろう?
実家で何かあったのか。
行為が終わってから、月山がぽつりと漏らした。
「……ありがとう」
 心の底から出てきた言葉だった。
 この女は、殺せない。

「えっ?」
 賀歌が怪訝な顔をしている。
月山は、はじめて女を知ったときのことを思い出した。
 真夏の午後の出来事だった。
 幼なじみのみづきと、 ”愛”や”ロマンス”というものが、まったく無縁の行為だったのである。

田舎の県立高校で、高三にもなって、いまだに異性を知らない童貞と処女が、焦りと好奇心だけでセックスをしたのだ。
 まわりにいる早熟な同級生は、すべて経験していたのである。
 小動物がじゃれ合うような、よくある若気の至りであった。
場所は、実家の庫裏の片隅の部屋だったのである。

お盆に近い日だったので、両親も忙しく立ち働き、寺はそれこそ伽藍堂(がらんどう)のようになっていたのだ。
営みが終わってから、みづきは気恥ずかしさで目を合わすことなく、無言のまま衣服を身につけ、そそくさと帰って行った。

 その時もみづきに、ありがとうと言ったはずだ。
 みづきは、きょとんとしていた。
それ以後、みづきとは会話はしていない。
 恩を売るつもりで言ったのではないのだ。

 素直な、心からの言葉だったのである。
もち論、そのことを賀歌には言っていない。
それから何年かして、みづきは北海道に嫁に行ったと噂で聞いた。

「どういう心境の変化なんだい?」
 あえて月山は、寝物語に訊いてみた。
「何が?」
 賀歌が月山を見る。
「今夜のことさ……」
「………」
 賀歌は黙っている。

「なあ……」
「……さあ」
「さあって……」
つかみ所がない賀歌に、月山は混乱している。

「それより……」
「うん?」
「法戦式のこと憶えている?」
「……ほっせんしき?」
 月山は眉間に皺をよせた。
             つづく








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