怪譚 屏風の虎
怪譚 屏風の虎
第一話 屏風の虎
第十五回
六、終わりのはじまり
織田信長公が暗殺されてから、豊臣秀吉公が天下人になられた。
安土城の天守閣と本丸が焼失したとはいえ、絵師としての狩野永徳は、人一倍美的感覚が鋭かった信長公に認められ、その名は天下にとどろいたのである。
それでも、戦の時代は終わりそうにない。
一番可愛がってくれた祖父・元信も、時を同じくしてみまかった。
享年八十三歳だったという。
結局、祖父は、安土の障壁画をみることが出来なかった。
狩野家の礎(いしずえ)を築いた元信は死んだのである。
元信なくして、今の狩野派はなかったであろう。
中国の北画や南画から影響を受けつつ、大和絵系の土佐派の様式を取り入れ、日本的な絵画様式を確立したのである。
これまでの日本になかった画風だった。
その後の永徳、探幽、山楽、山雪を輩出し、江戸幕府が消滅するまで、御用絵師として流派はつづいたのである。
その時代、日本画のおおいなる変革期だったのかも知れない。
なぜなら、狩野永徳を筆頭に、長谷川等伯、海北友松、俵屋宗達……等が同時期に誕生している。
兄の永徳は、秀吉公の信任もあつく、現在建設中の大坂城・天守閣の依頼も受けていたのであった。
だから、狩野の絵画集団は一時的に、安土の時と同じように、大坂に引っ越していたのである。
城は、大川(淀川)と、大和川が合流するところに建てられていた。
大川には寝屋川と鯰江川が、大和川には平野川と猫間川という支流がある。
それらが合体した河は、満々と水をたたえ、あくまで清く、お壕(ほり)のような役割をはたしている。
さすがに水の都らしく、道を舗装するように、水路がくまなく整備されていた。
金太郎は十五歳の立派な青年になっていた。
近ごろでは、一般に販売されている扇や団扇の図案をまかされ、制作していたのである。
ただ、今回の大坂城については経験不足のため、また”追い回し”のようなことをやらされていた。
「人はな、”斬新・奇抜・珍妙”な作品を求めるものだ」
生前の元信が言った。
「分かってるよ、何回も聞かされたんだから……」
金太郎が元信を見る。
「いや、おまえはまだ分かっとらん」
「そんなことないよ」
「実は……」
「うん?」
「おまえのおっ母さんはな……」
「えっ?知ってるの……」
「室町幕府・最後の将軍・足利義昭公の愛妾(あいしょう)だったお方だ」
足利義昭――
十五代将軍であったが、応仁の乱以後、かつて花の御所と呼ばれて栄華をほこった幕府も、衰退の一途を辿っていた。
織田信長によって、室町幕府は再興できたが、それは信長の幕府でしかなかったのである。
”流浪の将軍”といえるほど、晩節は各地を転々としたのであった。
「……将軍?……めかけ?」
金太郎が訊く。
「そうだ」
元信が答えた。
「嘘だよ、そんなの!」
「何が嘘だ!」
「このおれが?そんな高貴なお方な訳ないよ」
それに、あの野暮ったい父・松栄が、お姫さまのようなお方が相手にされるとは到底思えない。
どういった経緯で、接近したのだろうか。
どうしても信じられない。
「母に会いたくないのか?」
元信が訊く。
「会いたくない」
金太郎が答えた。
「な、何と?」
「会ったら、ぶっ殺す」
金太郎はだんだん言葉が悪くなっていた。
「――何を言うか!」
「だって、そうじゃないか。てめえらで好き勝手してさ」
母の記憶など皆無なのだ。
思い出があるから、情が生まれる。
「おまえはやっぱり武家の子だったんだな」
元信が言う。
「何で?」
金太郎が訊く。
「名は体を表すというではないか」
「金太郎?」
「そうだ。それを現しているではないか」
「……坂田金時?」
「そうだ」
それから数日して、祖父は逝った。
「兄(あん)ちゃん」
ある夜、金太郎が言った。
「……ああ、金太郎か」
ろうそくの灯りの下、障壁画の下絵を描いていた永徳が筆をとめる。
「うん、実は……」
「ああ、何だい?」
「実は……」
「だから?」
「……うん」
「どうしたんだよ?」
永徳が微笑する。
「何でもない」
と、金太郎は逃げるように、その部屋から出て行った。
「何だよ、おかしなやつだな」
永徳が苦笑した。
翌朝、金太郎の部屋には、一通の書き置きがあった。
――修行に出ます。
金太郎は行く先さえ告げず、旅に出たのである。
母のことを口汚く罵ってしまったが、金太郎にとっては、もうどうでも良いことなのだ。
冷たいといわれるかも知れないが、すべて済んでしまったことなのである。
いまは絵のことで、頭がいっぱいだった。
母はずっと、瞼(まぶた)の奥に住んでいるではないか。
「あの馬鹿……」
手紙を見て、永徳がつぶやく。
「”追い回し”がいやだったんですかね?」
弟子の一人が言った。
「いや、そうじゃないだろう」
永徳が否定する。
金太郎は、祖父・元信と同じように、自分の絵をみつけに旅に出たのだと、永徳は思った。
つづく
第一話 屏風の虎
第十五回
六、終わりのはじまり
織田信長公が暗殺されてから、豊臣秀吉公が天下人になられた。
安土城の天守閣と本丸が焼失したとはいえ、絵師としての狩野永徳は、人一倍美的感覚が鋭かった信長公に認められ、その名は天下にとどろいたのである。
それでも、戦の時代は終わりそうにない。
一番可愛がってくれた祖父・元信も、時を同じくしてみまかった。
享年八十三歳だったという。
結局、祖父は、安土の障壁画をみることが出来なかった。
狩野家の礎(いしずえ)を築いた元信は死んだのである。
元信なくして、今の狩野派はなかったであろう。
中国の北画や南画から影響を受けつつ、大和絵系の土佐派の様式を取り入れ、日本的な絵画様式を確立したのである。
これまでの日本になかった画風だった。
その後の永徳、探幽、山楽、山雪を輩出し、江戸幕府が消滅するまで、御用絵師として流派はつづいたのである。
その時代、日本画のおおいなる変革期だったのかも知れない。
なぜなら、狩野永徳を筆頭に、長谷川等伯、海北友松、俵屋宗達……等が同時期に誕生している。
兄の永徳は、秀吉公の信任もあつく、現在建設中の大坂城・天守閣の依頼も受けていたのであった。
だから、狩野の絵画集団は一時的に、安土の時と同じように、大坂に引っ越していたのである。
城は、大川(淀川)と、大和川が合流するところに建てられていた。
大川には寝屋川と鯰江川が、大和川には平野川と猫間川という支流がある。
それらが合体した河は、満々と水をたたえ、あくまで清く、お壕(ほり)のような役割をはたしている。
さすがに水の都らしく、道を舗装するように、水路がくまなく整備されていた。
金太郎は十五歳の立派な青年になっていた。
近ごろでは、一般に販売されている扇や団扇の図案をまかされ、制作していたのである。
ただ、今回の大坂城については経験不足のため、また”追い回し”のようなことをやらされていた。
「人はな、”斬新・奇抜・珍妙”な作品を求めるものだ」
生前の元信が言った。
「分かってるよ、何回も聞かされたんだから……」
金太郎が元信を見る。
「いや、おまえはまだ分かっとらん」
「そんなことないよ」
「実は……」
「うん?」
「おまえのおっ母さんはな……」
「えっ?知ってるの……」
「室町幕府・最後の将軍・足利義昭公の愛妾(あいしょう)だったお方だ」
足利義昭――
十五代将軍であったが、応仁の乱以後、かつて花の御所と呼ばれて栄華をほこった幕府も、衰退の一途を辿っていた。
織田信長によって、室町幕府は再興できたが、それは信長の幕府でしかなかったのである。
”流浪の将軍”といえるほど、晩節は各地を転々としたのであった。
「……将軍?……めかけ?」
金太郎が訊く。
「そうだ」
元信が答えた。
「嘘だよ、そんなの!」
「何が嘘だ!」
「このおれが?そんな高貴なお方な訳ないよ」
それに、あの野暮ったい父・松栄が、お姫さまのようなお方が相手にされるとは到底思えない。
どういった経緯で、接近したのだろうか。
どうしても信じられない。
「母に会いたくないのか?」
元信が訊く。
「会いたくない」
金太郎が答えた。
「な、何と?」
「会ったら、ぶっ殺す」
金太郎はだんだん言葉が悪くなっていた。
「――何を言うか!」
「だって、そうじゃないか。てめえらで好き勝手してさ」
母の記憶など皆無なのだ。
思い出があるから、情が生まれる。
「おまえはやっぱり武家の子だったんだな」
元信が言う。
「何で?」
金太郎が訊く。
「名は体を表すというではないか」
「金太郎?」
「そうだ。それを現しているではないか」
「……坂田金時?」
「そうだ」
それから数日して、祖父は逝った。
「兄(あん)ちゃん」
ある夜、金太郎が言った。
「……ああ、金太郎か」
ろうそくの灯りの下、障壁画の下絵を描いていた永徳が筆をとめる。
「うん、実は……」
「ああ、何だい?」
「実は……」
「だから?」
「……うん」
「どうしたんだよ?」
永徳が微笑する。
「何でもない」
と、金太郎は逃げるように、その部屋から出て行った。
「何だよ、おかしなやつだな」
永徳が苦笑した。
翌朝、金太郎の部屋には、一通の書き置きがあった。
――修行に出ます。
金太郎は行く先さえ告げず、旅に出たのである。
母のことを口汚く罵ってしまったが、金太郎にとっては、もうどうでも良いことなのだ。
冷たいといわれるかも知れないが、すべて済んでしまったことなのである。
いまは絵のことで、頭がいっぱいだった。
母はずっと、瞼(まぶた)の奥に住んでいるではないか。
「あの馬鹿……」
手紙を見て、永徳がつぶやく。
「”追い回し”がいやだったんですかね?」
弟子の一人が言った。
「いや、そうじゃないだろう」
永徳が否定する。
金太郎は、祖父・元信と同じように、自分の絵をみつけに旅に出たのだと、永徳は思った。
つづく
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