THE 読物  ~東 月彦の小説~

連載39 奈良三彩


     天女の舞い
「住所はどうやって?」
 ゆずり葉は、キャラメル・フラパチーノを一口飲んでから訊いた。
「先日の関西での公演の時、京都の出版社で聞きました。あなたが、歌集をお出しになった、あの会社です」
 宗悦はストローでアイスコーヒーを混ぜながら言う。


「・・・・ああ」
 三軒茶屋駅前にある、コーヒーストアだった。
「私が身分を明かして、新作能のことを言うと丁寧に教えてくださいました」
「・・・・そう」


「・・・・時代に転換期があるように、日本人の美意識もそれに伴って、転変すると思うんです。例えば、能楽でいえば、物まね主体の猿楽が、京都で洗練されることによって、能になったように。以後、それが主流となりました。ですから、今がその時節なのかも知れません」
 やさしい眼差しでゆずり葉を見つめながら、宗悦が言う。
「・・・・・」
 ゆずり葉は、彼の眸を見ないようにしていた。


「世阿弥がすごいのは、舞踊がうまかったからでも、花伝書を書いたからでもないんです」
「・・・・どういうこと?」
「勿論、それらは評価に価することなんですが、彼は歌人としても一流の人だったんですよ」
 ――・・・・・。
 ゆずり葉は世阿弥のいくつかの作品を思い起こしていた。


「『熊野(ゆや)』や『恋重荷(こいのおもに)』の能本を読めばわかると思うのですが、賞賛されるべきものをいっぱい書き残しているんです」
「・・・・ああ」
 ゆずり葉は、その言葉に得心する。


「いかにせん都の春も惜しけれど馴れし東の花や散るらん」
 謡曲『熊野』の中で、平宗盛の愛妾であった熊野が、村雨に花の散るのを見て重病の母を思い、その心境を一首の歌にしたのだ。


「その他にも、いっぱいありますし、詩人としても優秀な人ですね」
「・・・・そうね」
「われわれの祖である犬王も、何か文章を残してくれれば、良かったのですが・・・・」
 宗悦は苦笑する。
「・・・・・」


「でもね、最近、世阿弥のことを調べていて思ったんですが・・・・」
「?」
「世阿弥こそ、日本の美の破壊者なんですよ」
「えっ、どういうこと?」


「あの人こそ、“序破急”を瓦解させたんです」
「・・・・・?」
「つまり、私がこの間演じた『求塚』にせよ、『葵上』にせよ、彼は改作しています。言ってしまえば、ハッピーエンドですよね」
「ええ」


「序破急の本来の意味からすれば、謡曲『綾鼓』のように、怨みを残して自殺した老人が怨霊となって、ツレの女御を責めながら終わるものだと思うのです。『綾鼓』と似たような設定の『恋重荷』という謡曲があります。ただ『恋重荷』の方は、怨霊となって女を詰責するところまでは同じなんですが、・・・・これまでぞ姫小松の、葉守りの神となりて、千代の影を守らん、と最後にはその憤激もおさまり、彼女の守り神になってやると言って、消え去るんですね」
「・・・・ええ」


「これは、どう考えてもおかしいのです。これでは劇の構成は『序破急』ではなく、『起承転結』になってしまうのです。なぜなら、怨霊となった主人公(シテ)がドラマの結末で、その心情を変化させているではないですか」
「・・・・そうね」


「世阿弥は『申楽談義(さるがくだんぎ)』や『三道(さんどう)』の中で、”序破急”の重要性についてあれほど述べているのに、『恋重荷』や『葵上』、『求塚』では、その掟ともいえる劇の構成を破ったんです。・・・・能において、”起承転結”という言葉を当てはめるのは、おかしいと言われるかも知れませんが、世阿弥の時代にはすでに『漢詩』は輸入されていた訳ですから、その思想形態はあったんですよ」
「・・・・・」


「また世阿弥は『能作書』において、”序破急”は五段落構成にすべきだというようなことを書き残しているんですが、それでも不満は残るし、不自然なんです。能のドラマツルギーである”序破急”は、古からつづく雅楽から倣ったものなんですね」
「じゃあ、どうして?」


「私の思うところ、観阿弥の『求塚』や『綾鼓』は、物語に救いようがなく、あまりに暗くて重すぎるので、世阿弥が改作したんじゃないでしょうか。最後には、怨霊となったシテが変心して、救済するっていう風に。世阿弥はすべての謡曲を改編した訳ではなく、怨霊物の多くに手を加えたようです。・・・・ですから、観阿弥以前のものには、狂言が必要だったのではないでしょうか、笑いがね」
「なるほど。・・・・じゃあ、なぜ、『綾鼓』は改作しなかったのかしら?」


「・・・・それがよく分からないんですが、『綾鼓』には、原作となる『綾の太鼓』という古曲があるんですね。これは私の想像なんですが、『綾の太鼓』の持つ劇の構成や、劇的な要素を壊すことなく、音曲や詞章を現代風――室町時代風――にアレンジしたものが『綾鼓』だったのではないでしょうか」
「面白い仮説ね。・・・・今のお話を聞いて、テレビのニュース番組のことを思い出したわ。ニュースでは暗いものが二、三本つづくと、次はわざと明るい話題のものを選ぶそうだから。そうでなければ気分が滅入っちゃうもの。・・・・例えになってないかもしれないけれど」


「いえ、そんなことはないです。それを聞いて、やはり世阿弥は、最高の演出家でもあったことを確信した思いですね」
「・・・・・」
 ゆずり葉が頷く。


 ゆずり葉が今日、宗悦と逢う気になったのは、つい先日、長い自筆の手紙をもらったからだった。その文面には、切々と心情が訴えられていて、心動かされるものがあったのである。
 やはりメールと、手紙では重みが違う。
                       つづく

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