怪譚 屏風の虎

怪譚 屏風の虎
第一話 屏風の虎
第九回

 第四章 月夜

 あれから一週間経過したが、賀歌はまだ帰っていない。
 昨晩も、妻のスマホに連絡したが繋がらず、仕方なく実家の方に電話したが、忙しいという理由で出てこなかったのだ。
 それに、病にふせっているはずの義父が電話口に出たのである。
 絶対に浮気している。

 賀歌の実家は浅草にあり、旅館を営んでいる。
 最近では外国人旅行者が増え、それなりに盛況しているようだ。
 月山はムカついて、浅草に乗り込んでやろうと考えたが、あいにく法事があったので、断念したのである。

 その日、村長の赤橋の家で七回忌の法要があり、月山は呼ばれていたのだ。
「和尚、奥さんが実家に帰ったんだって……」
 赤橋が訊く。
「えっ?ご存じだったのですか……」
 月山が答える。

「うん。お父さんの具合が悪いんだって……」
「そうなんですよ」
「赴任そうそう、大変だねえ」
「ええ、まあ……」
「お大事に」
「はい、ありがとうございます」

 法要は滞りなく終わり、酒宴になった。
 豪華な幕の内弁当が出て、勧められるまま、ついつい呑み過ぎてしまった。
 月山は前後不覚になるまで酔っ払い、どうやって寺まで帰ったのか、まったく記憶がなかったのである。

     ◇
 何の音だ?いまのは……。
 月山が、ハッと目覚めた。
 四囲(あたり)は、真の闇の中にあり、月明かりも消えている。

 電波時計を見ると、時刻は午前二時をまわったところで、月山は、寝室で寝ていたのである。
 何か得体の知れない巨きなものが、廊下の床を軋ませながら来るようなのだ。
なぜか、獣の臭いがする。

「ま、まさか……」
 月山は今度は、声に出していた。
 いつの間にか、雲が途切れて、月光が障子に明るく映える。
 静かな唸り声が聞こえ、虎のような野獣の影絵がうつる。

「!」
 月山は飛び起き、部屋の隅へ後ずさる。
 咆哮がひとつ起き、白い障子紙がびりびりと震える。
「うぉおおおおおっ!」
 月山は、あまりの恐怖で叫び、歯と歯がかみ合わず、ガタガタ震え出す。
真夏の夜の出来事だった。

 ――待てよ!
 これは夢だろう。
 以前見た夢とまったく同じではないか。
 これは、”明晰夢”ではないのか。
 月山は睡眠中にもかかわらず、そんな思いが頭をよぎる。

 明晰夢とは、夢であると自覚しながら見ている夢のことである。
 明晰夢を何度も見た経験者は、夢の状況を自分の思い通りに描けるという。
 また、野獣が咆哮した。
 まるで月に向かって、吠える狼男のようにである。

 次の瞬間、バリッバリッと大きな音がして、障子戸が壊れ、黒い獣のようなものが部屋の中に飛び込んできたのだ。
 そして、また吠えたける。
「――――」
 月山は、驚愕のあまりその場で飛び上がった。
 そして、気を失ったのである。

     ◇
 あなた、あなた!と賀歌の呼ぶ声が遠くから聞こえる。
 おい、大丈夫か?という聞き覚えのない男の声もする。
 月山がハッと目覚め、ガバッと起き上がる。
 賀歌と、赤橋が心配そうに覗き込んでいる。

「大丈夫?」
 賀歌が訊く。
「何かあったのかい?」
 男の声は、赤橋だったのだ。
「……夢か」
 と、月山が太い溜め息をつく。
 四囲は陽光が差し込み、すっかり明けている。

 だが、両肩と二の腕が痛む。
 よく見ると、爪で引っ掻かれたようないくつもの裂傷があるではないか。
 薄っすらと血が滲んでいる。
 ――おい、これって!

「どうしたの?それ……」
 吃驚して賀歌が訊く。
「早く消毒した方が良いんじゃねえか……」
 赤橋が言う。
「……ああ、こんなの平気さ。昨晩ころんだんだよ」
 月山は嘘を言った。
 嘘をつく必要はないのにである。

 しかし、果たして夜中に虎に襲われたといって、誰が信じてくれるだろう。
「ちょっと待ってて。救急箱持ってくるから」
 賀歌が立ち上がろうとする。
「良いよ、良いよ。こんなの、すぐに直るさ。それより、壊れた障子戸を修理しなきゃ」
 月山が言う。

「……こ・わ・れ・た・障・子?」
 賀歌が、不審そうに訊く。
「ああ。そこの障子戸、昨晩、壊れちゃったから……」
 月山が答える。

「何を言ってるの?」
「何をって?そこの障子戸だよ……。――えーっ!」
 月山が寝起きの目で見ると、野獣に破られたはずの障子戸が何もなかったかのように、元の状態であったのだ。
――……そうか。あれは、やっぱり夢だったのだ。

「もう、しっかりして!寝ぼけないでよ」
 賀歌が怒る。
「あっははは、すまない」
 月山は笑って誤魔化そうとした。
 ――……では、この傷は何なんだ?
 月山は首をかしげる。
 両肩と、二の腕がしくしく痛んだ。
                    つづく








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