わさび②――wasabi

長編連載小説
『わさび②――wasabi』 第七回

     ◇
 目白の椿山荘の庭園は、花の季節も終わり、まばゆいほどの新緑が映え、木もれ日がふり注いでいる。
 小さな丘に石段があって、その横を小川が流れ、梨里はお見合いの相手と、散歩していた。

 その静けさは、とても二十三区内とは思えない。
 私市四郎(きさいち・しろう)は、商社マンである。
 六大商社のひとつである三和商事に勤務し、現在はイタリアのミラノに赴任し、日本製のオートバイを販売しているという。
 あふひが聞けば、地団駄を踏んで悔しがるだろう。
 私市は、エリート然としていた。

 その日の梨里は、深紅の、総絞りの振り袖という豪華な装いである。
 柄は牡丹に車模様で、袋帯は金地に刺繍をほどこした古代文様であった。
 私市とは二度目の対面だったので、地味目の花柄のワンピースにするつもりだったが、母親の奈津世が着て行けと譲らなかった。
 その着物のせいで、荘内にあるホテルのフレンチも、ゆっくり味わえなかった。

「着物は良いですね。やっぱり日本の女性は、着物ですよね」
 私市は、チビ・ハゲ・デブではなかったが、ちびまる子ちゃんに出てくる花輪くんに似ている。
 角度によっては、チャーリー浜だった。
 安心した。
「……そうですか」
 梨里がこたえる。

「以前、イタリア旅行をされたことがあるそうですね?」
 私市は、三三歳だという。
イタリアン・ファブリックの細身のスーツを着こなしていた。
「ええ、母と……」
 私市が真顔で、ごめん臭いと言ってくれないかと、梨里は期待している。

「どちらに?」
「えーっと、ローマ、フィレンツェ、ベニス、ミラノ……です。お定まりの観光コースですね」

「そうでしたか。もし、よろしかったら、僕が赴任している間に、もう一度遊びに来られませんか?」
「……そうですね」
――うわーっ、スカンピ(手長海老)のエチュベが食べれる。美味いんだよなあ、あれ……。

「あたし、スカンピが大好きなんです」
「そうですか。二、三軒美味い店を知ってますよ」
「ホントに?」
「ええ。それに、観光ルートから外れた場所をご案内しますよ」
「へぇー」

「地元の人間にもあまり知られていない穴場へね……」
「うわーっ、面白そう」
「ぜひ」
「はい、母に相談します。あのう……」
「はい?」

「行きたいところがあるんですが……」
「これから?」
「ええ」
「僕が一緒でも良いんですか?」
「はい」
「そうですか。じゃあ行きましょう」
 梨里と私市は、玄関へ向かった。


 梨里らが乗ったタクシーは、柳橋の道を走っていた。
「どこに行くんですか?」
 私市が訊く。
「もうすぐです」
 梨里がこたえた。
 目の前を、緑色で鋼鉄製の頑健な橋が見えはじめる。

「あそこです」
 梨里が指さす先に、橋の袂に屋台が出ていて、のれんが掛かっているのが見える。
 夕方の早い時間だったので、客はいないようだ。
「……あの屋台ですか?」

「そうです。おいしいんですよ」
「鮨屋ですか?」
「ええ」
「あのう、今日はもう仕方ないですが、これから鮨が食べたくなったら事前に仰っしゃって下さい。次郎や、久兵衛や、さいとうなら、予約なしで入れますから……」

「……はあ」
「あんな店は行かない方がいいですよ」
「――――」
 ――あんな店……。
 梨里は、人格を全否定されたような気がした。
 あたしは、この男(ひと)と結婚するんだろうか……。

「へい、いらっしゃい!」
 太郎の威勢の良い声が響く。
「こんばんは、お久しぶりです」
梨里が会釈した。
「おう、梨里ちゃん、久しぶりだね。他の娘(こ)たちは、元気かい?」
「元気だと思います。もうバラバラになっちゃったから……」

「そうかい。お連れさんもどうぞ……」
「いらっしゃい」
 由自が、私市に言う。
「どうも……」
 私市が、のれんをかき分ける。

「梨里ちゃん、何、呑む?」
「あっ、あたし、ビール。――それで良いですよね?」
 梨里が、私市に訊く。
 私市が頷く。
「はい、お待ち」
 と、由自が瓶ビールとグラスを持ってきた。

「あたし、マグロください」
「じゃあ、僕もそれで」
「あいよ」
 梨里は、鮨屋の善し悪しは、マグロの赤身で決まると思っている。
 小細工がきかず、素材の良否と、シャリの旨さがストレートに出るからである。

「――おいしい!」
 梨里が一口食べ、真実感嘆して、ちらっと私市を見る。
「!」
 私市はあまりの美味さに、吃驚しているようだった。
「………」
 梨里はにやりと微笑む。
 結局、最後まで、ごめん臭いとは言ってくれなかった。
         つづく



  躰だいじょうぶ?あまり無理をしないで。(´Д`;)









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